■ 私とイタリア、そしてコロナ禍の今
二十歳の時に初めてイタリアの地を踏んで以来、いつかイタリアで暮らしてみたいという夢を持った私は、大学を卒業後、3年間、都市計画事務所で働きながら資金を貯め、1年間留学する切符を手に入れた。
とにかく日本人のいないところでどっぷりイタリアの生活をしたかった私は、偶然知り合ったアブルッツォ州出身のイタリア人に勧められるまま、アブルッツォ留学を決めた。
「ローマから2〜3時間で行ける」「近くに買い物ができる街もある」と聞いていたアブルッツォ州のキエティという町は、完全な地方都市で、どちらかというと田舎だったし、自分が知るイタリアの華やかさもなかった。バス停に私と大きな荷物を残し、バスが砂埃を立てて去って行った記憶があるので、駅前のロータリーさえも当時は舗装されていなかった気がする。
一人暮らしをするつもりが、あまりに語学力が足りないからと、最初の3ヶ月は学校が斡旋してくれた家族と一緒に暮らした。いきなり見ず知らずの、言葉も話せないアジア人を受け入れ、丁寧に生活の術を教えてくれたホストファミリーにはとても感謝している。それでもどうしてもひとり暮らしがしたかった私は、その家族の助けも借りながら、ようやく小さな一軒家を改装したアパートでの生活をスタートさせることが出来た。