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「ここじゃない世界に行きたかった」 塩谷舞が、今いるところ。

初のエッセイ集「ここじゃない世界に行きたかった」を上梓した塩谷舞さん。彼女とは京都芸大時代からのつきあいで、アートギャラリー「DMOARTS」の初代スタッフでもありました。作家となって帰ってきた彼女と久しぶりにゆっくり話しました。

「谷口さん、DMOARTSでお世話になってた2011年からちょうど10年。もう、いろいろありすぎて」と、久しぶりに会った塩谷舞(しおたん)は、しっとりオトナの佇まい。と、いいながら早口の関西弁で喋りまくるのは変わらんけどな。

(取材 / 写真:谷口純弘 写真提供:塩谷舞)

 

 

塩谷舞(しおたにまい)

文筆家。1988年大阪・千里生まれ。京都市立芸術大学美術学部総合芸術学科卒業。ニューヨーク、ニュージャージーを拠点に執筆活動を行う。2009年、大学時代にアートマガジン『SHAKE ART!』を創刊。2012年にCINRA入社、WEBディレクター・PRを経て、2015年に独立。会社員時代より、WEBメディアの執筆、企業の広告企画、SNSマーケティングに多く関わり、「バズライター」の異名をとる。2017年、オピニオンメディアmilleuを立ち上げ、自身の執筆活動を本格化。note定期購読マガジン『視点』にてエッセイを更新中。2021年、初のエッセイ集「ここじゃない世界に行きたかった」を文藝春秋より上梓。

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■まずは、これ書いとかなあかん。僕(谷口)との出会いは、その2011 年からさらに遡ること2年。2009年4月。ミクシー(懐)経由でもらった一通のメッセージだった。

 

「初めまして、 京都市立芸術大学総合芸術学科3回生 塩谷 舞(シオタニマイ)と申します 」

 

学校の中に閉じこもって制作ばかりの美大生たち。京都にはたくさん美大があるのに、他校との交流も、作品売り込みもしたことのない学生生活に風穴を開けようと奮起したしおたんが企画した、関西の美大生60人をあつめた交流会。(2009年5月31日・京都市中京区青少年活動センター )そこに僕が呼ばれて、講演会とポートフォリオレビューをしたのです。

 

塩谷:これが私にとってホンマに最初の最初です。子どもの頃からFM802を聴いてて、digmeoutのことも憧れてた。社会とアートを繋げるような仕事がしたい! と思って芸大に進学したんです。でも私が入学したした大学は大器晩成型で、社会に出るよりもまずは己を深く知り、技術を磨くべし、という空気に満ちてた。32歳になった今はその意味がよくわかるけど、20歳の当時は閉塞感を感じてたんですよね。「もっと社会に出たい!」と思って、digmeoutやってはる谷口さんにダメモトで「芸大生に向けた交流会で講演してください」ってお願いして、すぐ返事いただいて、人生で初めて企画したイベントやったんです。

 

この日、イベントの熱気が高まりすぎて、過呼吸になった子もいましたよね。谷口さんが講演で「見せなはれ」とか「世の中に出しなはれ」みたいなことを言うから、大器晩成型の教育を受けてる身にはショックが大きかった……。学校では「作れ、悩め」ばっかりやったから。そういう「世の中」というものに触れた瞬間に、喜びとか焦りとか、いろんな感情が渦巻いて、熱量がとんでもないことになった。それで後日、集まってくれた人に、「これからみんなで何かやりませんか、何ができるかわからないけど」と声がけして、集まったメンバーで始めたのが、美大生のためのフリーペーパー「SHAKE ART!」やったんです。

 

嬉しいことに塩谷舞初代編集長「SHAKE ART!」創刊号を持ってきてくれた。

「これです、これ、谷口さん若いー。私も若いー。笑」 記事、拡大してみてください。僕、今も言うてることはかわらんな「Enjoy!」やて。笑

■しおたんはその後、2011年から1年間、digmeoutプロデュースのアートギャラリー「DMOARTS」(JR大阪三越伊勢丹)でスタッフとして働いたあと、東京のカルチャーメディア「CINRA」に就職。そこでWEBディレクターとしての修行を積み独立。小学生の頃から自力でHTML組んでインターネットにどっぷり浸かっていたしおたんは、ツイッターを武器に、当時登り調子であったネット業界で頭角を現し「バズライター」と呼ばれ、書く記事、投稿がことごとく読まれるインフルエンサーになった。

ある日、BSの茂木健一郎さんの番組にゲスト出演し、お洒落なオフィスでラフマニノフのように高速でキーボードを叩きまくるしおたんの紹介映像を見た僕は「頑張ってるけどしんどそうやな、大丈夫かな」と、親でもないのに我が子のように、彼女のことを気にかけていたのでした。

 

 

塩谷:あの頃は必死やったし、楽しかったんです。バズらせるのは得意やったし、SNSの使い方に悩んでる人たちも多かったから「これはどうして売ったらいいですか」とか「どうすれば世の中に情報が伝わりますか」という企業コンサルや相談を受けることが多くて。そういう土俵では、結果も出せるし、楽しかった。当時、バリューとかタイムバンクとかそういうサービスが出てきて、私、ものすごい時間単価が高かったんです。ソーシャルメディアでの持ち点が高い人が稼げる、って風潮がすごかった。28歳の頃は、自分が評価型経済社会の中でどんどん上がっていくような気分でした。そらもう、わかりやすい慢心です(笑)。

 

 

住んでいたブルックリン。自宅からの風景

塩谷:2018年、家族の意向でニューヨークに移住することになりました。でも、現地の仕事はない。私自身は海外志向も強くなかったし、英語も喋ってこなかったし。あんな物価の高い街でどうやって暮らしていくねんと悩んだ結果、ひとまずnoteで記事を売ってみようと。「記憶に残るインターネットの使い方」というタイトルで定期購読noteをはじめました。私の持てるノウハウを全て出して、毎回すごい気合を入れて書いてたんですが、それが売れたんですよ、びっくりするぐらい。でも、売れるほどに、どんどん怖くなっていったんです。やっぱりわかりやすい言葉のほうがウケるから、売上金額を増やすことを目標にすると、書くものがどんどん偏っていっちゃう。でもそもそも、バズらせることとか、モノを沢山売ることって、倫理的に正しいことなんやろうか? って、根本的なところから悩むようになっていって……。と悩みながらも、ニューヨークは物価が高い! 明日もちゃんと暮らしていけるようにと、目の前のトレンドなんかをせっせと記事にしていました。

アイルランド・ダブリンで、親友Allaがデザインしたジャケットを着て

■「バズライター」しおたんの考え方がかわったのはいつのこと?

 

塩谷:大きいのは、アイルランド留学に行った時ですかね。ちゃんと英語を身につけたいと1ヶ月過ごしたんです。あ、1ヶ月じゃ「ちゃんと」は身につかないですけど……。 久々にひとりで暮らして、Allaっていう親友もできて、一緒に自然の中で沢山お喋りして、そこで自分の五感を取り戻していった感覚があって。

 

それで、アイルランド留学を終えたときに「ここではない世界に行きたかった〜アイルランド紀行」という長めの紀行を書いたんですが、今までくすぶってた静かな感情を初めて表に出せたんです。それからは明確に、「私はもっと、こんな文章を書きたい」という思いが強くなって。

 

 

「ここではない世界に行きたかった〜アイルランド紀行」

https://milieu.ink/column/dublin

 

 

塩谷:ただ、ノウハウを書くときには頭を使うけど、エッセイを書くときには心を使う。両方同時に出来るほど器用じゃないから、まずはノウハウの発信をやめないと、感性も育たへんよなぁ、と。それで「記憶に残るインターネットの使い方」というnoteを廃刊して、自分の「視点」だけを書くものに切り変えたんですね。そしたら、購読者の人数も、売上も、4分の1くらいに減っちゃった。でも、自分の可能性に蓋をしとくことのほうがしんどかったし、長い目で見れば絶対に軌道修正したほうがいいからと自分に言い聞かせつつ、いろいろと工面しながらもエイヤッ!と。

 

その時の決意が書いてある、しおたんのnote。

https://note.com/ciotan/n/nf87ddd89e7a4

手に馴染むかどうか、と選んでいる器たち

塩谷:流行ってるものや、役に立つものを学ぶぞ、という目線で世の中を見るのをやめて、自分の琴線に触れるものをちゃんと見るようになってから、景色が変わっていきました。価値観の天変地異が起きたというか……。

 

それまでは、自分も気づかないうちに、「欧米=自分たちよりも優れている」という固定概念の上で物事を見ていたし、情報発信をしていた。でもそれって、下手すれば日本の読者の方にとって、劣等感を刺激するばかりなんですよね。

 

ニューヨークのギャラリーや、アートブックフェアなんかに行って、自分が「あぁ、いいなぁ、好きやなぁ」って思うものを見つけると、日本人だったり、ときどき台湾や韓国の方が作ってることが多々ある。色素や文化が近いと、美意識も重なるところが多いですよね。アメリカから日本に帰国すると、言葉のやわらかさや、モノに対する真摯な価値観にあらためて驚愕する。帰属意識、という訳じゃないですが、脈々と流れてきたものに誇りを持つことは、自分の身体や言葉を肯定してあげることにも繋がるなぁ、と。

 

それから、自分の肌やDNAが馴染むものを探していったり、心に深く刺さるものを見過ごさないように過ごしたり……そうやって直感を頼りに過ごしているうちに、途端にニューヨークでもいろんな出会いがはじまりました。アーティストやお店のオーナー、フォトグラファーと、Instagramを通して出会って出会って、実際に会って喋ってみると、精神性にも共通点を感じることがすごく多い。谷崎潤一郎や杉本博司の話で盛り上がったり、もっと言葉にしにくい感情を共有できたりして。こんなに騒がしい街やのに、静けさを求めるニューヨーカーもいるんやなぁ、って私の中でのステレオタイプが1つ壊れました(笑)。

 

それまで英語はからきし駄目だったんですけど、興味があることばっかり話してるうちに、徐々に楽しくなってきて。向こうも興味があるからゆっくり話を聞いてくれる。

 

やっと自分の感性とやっいてることが一致しはじめた、って感じました。都会に住む必要性も感じなくなってきて、高層コンドミニアムから離れて、街に出る回数も自然と減っていきました。鎧が取れてきたんやろうなぁ、って思います。

初のエッセイ集「ここじゃない世界に行きたかった」(文藝春秋)

■バズライターが、本に戻ってきた、いきなりのオールドメディア。しかも文藝春秋。

 

塩谷:初めてのことなんで、本を作る過程は驚きの連続でした。私はインターネットしかしてこなかったから、手書きでやるべしとされている著者校閲に対して、「なんでデジタルじゃ駄目なんですか!」と反抗したり、表紙がインスタ映えするか否かで揉めたり(笑)。

 

そうやってあーだこーだ言いながらも、本を出させてもらえることは本当にうれしかった。ゆっくりになりたかったんです。ネットの世界では、バズっても3日で話題にならなくなる。魂を注いだものですらすぐに古くなっていく世界に身を置いてたら、物の作り方も、働き方も、スピード重視になって当然ですよね。ネット民ながらも、「そんなに急がんでもいいのに」って、ずーっと思ってたんです。

 

でも本は、書くのにも時間がかかったけど、読む人のスピードもゆっくり。出してから数ヶ月経っても、じわじわと広がり続けてくれる。みんなが爆速で進む中で、自分がゆっくりになることで、少しでも世の中を遅くできないかなと。まずは自分の周りからですけど……。

著作を手に。手前は「SHAKE ART!」創刊号

■文藝春秋やしね、めっちゃ親孝行やんか。

 

塩谷:親孝行かはわかりませんけど、親に手紙を書くような気持ちで書きました。

 

インフルエンサーっていったら、テレビとかでは「胡散臭い仕事の代表格」みたいに言われるじゃないですか。だから、親もずっと、娘が何してるのかようわからんと、困惑してたんやと思います。けど、この本が出て、何回も読んで、仕事のことも、やっと理解してもらえたみたいです。これまで胡散臭い10年間を過ごしてまいりましたが、やっと親にもわかってもらえるようになりました。でもほんまは、大きな企業とかメディアにあやからずとも、「胡散臭くない!」と証明したかったんやけど。組織に属さず、SNSというストリートで誇りを持ってやってきた身としては、「出版社が立派!」っていうのは、一番嬉しくない褒め言葉です(笑)。

■テレビは今でもバズってるyoutubeの紹介ばかりだし、クラファン=宗教って言われたり。ネットの胡散臭い感覚は続いていますよね。しおたんは、ネットで時代を作ってきた人だけど、最近のヤングはネット全てでではなくて、自分のしたいことを実現するためにネットを使うって感じに変わってきてない?

 

塩谷:そうですね。私は10代の頃にインターネットそのものに感動して、インターネットを使って楽しいことをやろう、っていうのが主目的でもありました。

 

でも、私より10歳ぐらい下の人たちにとってはインターネットは当たり前に存在してるインフラだから、ネットだけでは完結しない。SNSを社会貢献のために活用したり、会社経営のために上手に使ったり、インフラが整ってる今やから挑戦できることが増えてるなぁ、すごいなぁ、と日々感心してます。

 

SNSの中では、思考や趣味趣向の近い人たちの中でスターがいて、小さい経済圏が生まれて、それぞれがキラキラしてる。今はそんな小宇宙がいろんなところで生まれてます。

 

でもそれって、若い世代だけの話じゃないですよね。私の周りにも、50代でInstagramを活用してお商売してはる人もいる。私の姉も気づいたら、インスタで人気者になってるんですよ。お姉ちゃん、私が子どもの頃からネットに夢中なのをずっと「恥ずかしくないの?」って見てたんですよ。それが今はすっかり育児日記が人気のインフルエンサーに……。人間らしさ満載の日記で、たしかにオモロいんです(笑)。SNSは悪い面もありますけど、そうやって人間らしさが行き交うプラットフォームが存在することは、おもろい時代やなぁ、とも思います。

すきなもの。井藤昌志さんのオーバルボックスと信楽焼の一輪挿し。ニュージャージーの自宅にて。

■さて、この先、しおたんどうやって生きてく?

 

塩谷:もっと自由に書きたいですね。今の私の文章は、本来の性根の悪さが出てない気がするから(笑)

 

もっと素直にさらけ出していきたい。自分も含めてですけど、世の中、良く見せようとしようとするあまり、綺麗事ばっかり増えてしまって、そのせいでどんどん寛容さがなくなってる気がする。文章を書くのは、時代の空気とか価値観を作る仕事でもあると思ってるから、もうすこし世の中が寛容になってほしいという願いを込めて、まずは自分の上澄みから取り除いていきたいです(笑)

(インタビューを終えて)

 

塩谷舞初のエッセイ集「ここじゃない世界に行きたかった」は、嬉しいことに重版かかっているそうです。東京、大阪でサイン会、トークイベントなどを精力的にこなすしおたん。この本の終盤に、突然僕の名前がでてきてびっくりしました。「50歳の私に」という章です。この本に出てくる僕は当時50歳。こそばゆい。しおたんは、あと20年ぐらい先、50歳の自分に向けてラブレターを書いています。

 

そんな僕は、今年58歳。「chignitta」で改めて文章を書いて伝えることをやり直そうとしてる僕にとって、 常に動きながら考えてモノ書いて、それを伝えて、心通じる人とつながっていく しおたんのこれからに学ばせてもらおうと思いました。インタビューには絶対書けない裏話ばかりの取材だったけれど、上手くまとめられただろうか、しおたん。

 

 

ここじゃない世界に行きたかった

塩谷舞

Twitterのフォロワー数10万人超。アメリカ在住のエッセイストが贈る、
〈あたりまえに生きるための言葉を取り戻す〉本

 

文藝春秋 (2021/2/25)
発売日 : 2021/2/25
言語 : 日本語
単行本 : 272ページ
ISBN-10 : 4163913343
ISBN-13 : 978-4163913346

 

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