北澤平祐さん、よろしくお願いします。
北澤:大阪での展示はdigmeout CAFEからDMOARTS、そしてチグニッタと、ずっと谷口さんと一緒にやらせていただいてて。ここは広くてとても気持ちのいい場所ですね。
昨日から始まった「おしごと展」ですが。オープン前からお待ちいただいてる方がいて、 しかも横浜埼玉東京、各地からファンが駆けつける人気っぷりです。
北澤:うれしいですありがとうございます。谷口さんとの馴れ初めですが、20年前ぐらいになります。当時住んでたロス(ロスアンジェルス)の本屋で谷口さんが作っていた本をみつけまして。若いアーティストを紹介するすごく面白い本で、最後にメールアドレスが書いてあったのでメールしたら「日本においでよ」と返事をもらったので、早速遊びに行ったらすごく良くしてもらって。
当時、私がアメリカで見た本は「digmeout」1号だったのですが、3年後に「digmoeut」5号で特集してもらいました。当時はまだデジタル、フォトショップだけで絵を描かせてもらっていて、今とは違うイメージなんですけど、紙に掲載してもらったことも初めてだったので、このご縁で仕事に繋がったりとか、大阪で個展をやらせてもらったり、それが最初で、20年経ってもこうやって呼んでいただけるってすごく嬉しいです。
長いよね20年。そもそも北澤平祐さんはなぜロスにいて どうして絵を描き始めたのか教えてください。
北澤:もともと親の仕事の関係で10歳でロスに引っ越しまして。両親があっちを気に入りすぎて永住してしまったんですね。弟と妹も永住しています。
私がアメリカに行った「10歳」というのが微妙な年齢でして、弟は6歳、妹は7歳で、現地ですぐに「普通に英語しゃべってる」って感じだったのですが、僕は3年ぐらいかかってしまって。「コミュニケーション難しいな」と思っていたのがどこかであって、絵だったら言葉がいらないからと、今思うとそれがあったのかもしれません。
私が絵を描き始めたのは高校生ぐらいの時で、カリキュラムに「図画工作」があって、アートの先生がすごく親身になってくださる方でした。課題で描いた作品を「コンテストに出してみる?」とか色々世話を焼いてくださって、それがきっかけですね。
その後、私の行った大学が「カリフォルニア州立大学フラトン校」といって、ディズニースタジオが目と鼻の先なので、アート部門も充実していて、そこのイラストレーションの先生もいい人で、そのまま大学院にも進んで、母校で先生もやって、そんな時に、地元の書店でdigmeoutを発見して、という感じです。
ティムバートンの映画が好きでした。当時、描いていた絵がモノクロだったりダークだったりしたのはその影響かもしれません。いまだに影響をうけているのは音楽かもしれません。絵に影響を受けちゃうと真似になってしまうので。
音楽はGrandaddyが好きでした、DIY的な。宅録モノが好きだったので。宅録文化ってスケーターカルチャーや、LAのアートシーンとも繋がっていたり、そんな仲間といつも一緒でしたね。日本のバンドではくるりが好きで「いつかくるりのジャケットやりたい」って谷口さんに会った時も言ってましたね。