池田 容様
YOH IKEDA (ヨウアートギャラリー 代表・アートコンサルタント)
MURKOSさんと出会ったのは、国際アートフェアUNKNOWN ASIA 2021。私はレビュアーとしてボードとシールをもらい、気に入った作家のブースにシールを貼っていく。そのなかで、最も印象的であった推薦できる作家に自身の賞を与える。一見、単純な作業だが、割り当てられたシール10枚と大賞の1枚を、出展者130余名、誰に与えるのかは至難の技である。
・UNKNOWN ASIA 2021でMURKOSさんを選んだ動機
黄色い壁、先ずコレが印象的。さらに画風。
ブースいっぱいに並べられた女性の作品、黄色の下地が多く目写りがよい。観る者が感情移入しやすい作風。こんな作家に自分のイベント表現を頼んでみたいと思う作風。後で書いているが、彼女は似顔絵を商業施設などのイベントで描いている。依頼主の要望と現実を上手く表現出来る才能が彼女の多様性を裏付けている。
・ 長年のアートにおける経験から見たMURKOSさんの印象や魅力
まず”線”が上手く踊っている。流石イラストレーターである。画面構成するには、輪郭などを司る線描、奥行きや感情表現として面、色彩の強弱等が使われる。
殆どの水彩画家は先ず線を描きそこに色を載せていく。画面構成を整え、そこに色彩を置いていくことで、線描のタッチがぼかされ、水彩独特の臨場感や曖昧さが生まれ、画面全体が程よくまとまっていく。ところが、MURKOSの作品は真逆で、先ずベースになる下地から塗り始める。その後に輪郭を描いていく。下地を描いた時点で、既にその絵の方向性は決まっているかの様に。
私の父も画家で、水彩画を得意とし、旅先などでスケッチブックに線を描き取り、アトリエで着色していく手法。鮮烈に残る記憶と曖昧に薄れゆく記憶が織り混ざって独特の画風を生み出していた。しかしそこには感情の表現などは見られず、作品は彼の記憶の断片であった。
換えってMURKOSの作品には感情表現が上手く織り交ぜられている。柑橘系の色合いを背にした人物表現には、主役(殆どが女性)の気持ちを見事に切り取っている。女性は多くの姿をもつ。その喜怒哀楽が逐一表情にでる。輪郭が攻撃的であるならば、下地はそれを後押ししたり隠したりしている。
イラストレーターとして、注文を受けた作品にはその趣旨がつきまとう。彼女なり、彼女なら、女性なら、、と作家自身の潜在性を対象商品にどう反映させるか、嬉しい気持ちは、悲しいときや落ち込んだときは、そんな要求を女性の立ち位置で上手く表現出来る才能は素晴らしい。
そう、彼女の絵には女性独特というより、人間の持つ喜怒哀楽の裏側、嫉妬ー欲望ー葛藤など、多面的な表情が一枚の絵に上手く織り込まれている。女性の背中を描いた作品がある。背中が多くを語っている。ひょっとして、前に回れば彼女は泣いているのか~?と見る者の想像を掻き立てる。
・作品や作風は、どんなアーティストを彷彿しますか?
彼女の線描表現、色彩はマチスのそれである。マチスは簡単な線描でモデルの置かれている叙情的な内面を表現する希有な作家である。MURKOSも同じく、描かれた廻りの線もそこに存在する物と主役との関係を下地の色合いでマッチングさせている。
画面構成も単純な遠近法や黄金分割ではない。画面上を自由に踊っているにもかかわらず、それに違和感を感じさせない。
・ 今後の期待
今年からまた油彩を始めた。先日作品を何点か見る機会が有った。作風はこれまでと同じだが、色や線の乗せ方、筆遣いに違いがある。元々油絵を専攻していただけにその技術的な問題は無いだろう。
油彩は水彩と違って偶然性が少ない。恣意的である。だからといって彼女の最大に武器である感情表現をどのように仕上げるかがこれからの課題になるであろう。注文を受けるイラストレーターではなく、一人のアーティストとして、今度は自分のために、モチーフや題名を決めなければいけない。
何が描きたいか、誰にその想いを伝えたいか。
彼女の場合良く似顔絵を描いているという。モデルと彼女とのコラボ、色んな経験が画面を華やかにしてくれるだろう。
・全体的に:
昨今、漫画やイラスト、NTF、など美術界も多様な表現方法が入り交じり、それぞれの住み分け、境界が曖昧になってきている。それ自体は時代の流れ、流行も有るであろう。しかし、その表現方法は違っても作家という個性は変わることはない。
何が良い?と訊かれれば、表現方法ではなく、やはり内面性であろう。
何年をスパンとして定義するかにも依るが、社会には、作る者、と観る者が存在し、そこに何らかの交流があってこそ存在感や価値観が限定的にも生まれる。
ただ、需要と供給のバランスだけで市場という不確かな価値観を作家に与えてしまってはならない。