だったら自分たちでやろう
橘さんはアートを生業にされています。それまでいろいろな経験を積んできて、現在に至っていると思うのですが、橘さんは仕事としてのアートにどんな風に向き合っていますか?
(橘) アートを生業にするというのは、他の業種とは全く異なる意味合いがあると思っています。商売をするという事だけでなく、作品制作はもとより言動や活動、考え方などにおいて他者にインスピレーションを与え続けることがアートだと考えています。また、「自分自身や作品の存在を発信する事によって、アートの目線で何が実現できるのか」という探求も根底には有ります。作品が売れるというのは、そういった活動の一つの結晶であると思います。
40歳の時に画家になる決意をした、と聞きました。きっかけを教えてください。
(橘)きっかけはパートナーである多喜博子さんとの出会いでした。互いに社会人としても長く、会社員としてどこかに帰属しながら働いて来て、人生の基礎はしっかりやってきた。その基礎を活かしながら「全くやったことのない新しいことを、これからの人生で二人で挑戦してみよう」ということになったのがそもそものきっかけでした。今でこそ多喜さんは額装家として道を切り拓いていますが、当時はまったく違う仕事をしていました。さて、二人で何をやるか?となった時に、以前から多喜さんの願望であった「アートギャラリー」をやってみようか、、ということになり(笑)それならば、まずはギャラリーで働いて運営とかを勉強しようという意気込みで、二人でいろいろなアートギャラリーを訪ねては「バイトをさせてください」と売り込んだり。でもね、そもそもスタッフを雇えるようなアートギャラリーに大阪では出会えませんでした。だったら、自分達でやろうということになり、「ア―ト&フレーム ハルキハウス」を結成し、僕たちのアート活動がスタートしました。