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Interview -唐仁原希 ギャラリートーク



チグニッタで現在開催中、「唐仁原希個展 トリックスターは笑わない」11月19日に行われたギャラリートークの模様をお伝えします。圧倒的なサイズと筆致で描かれる「トリックスター」たちの肖像。西洋絵画と日本のサブカルチャーをクロスする唐仁原作品の魅力が余すところなく語られたロングインタビューです。

インスタライブの動画はこちら https://www.instagram.com/p/ClIjp-nsDlr/

オンラインでの作品販売もスタートしています。 https://chignitta.thebase.in/


 

唐仁原希 (とうじんばらのぞみ)


1984年 滋賀県生まれ。2020年 京都市立芸術大学大学院美術研究科博士(後期)課程 修了。京都を中心に活動しており、さまざまな個展、グループ展を開催するほか、受賞も多数。子どもの姿をテーマとし、歴史性と現代性が融合した画面構成によって、見る人それぞれに物語を誘発させる作品を描きつづけている。




 



ギャラリートークにたくさんお集まりいただき、ありがとうございます。まずは自己紹介からお願いします。

唐仁原希です。油彩画の作品を制作しています。出身は京都市立芸術大学で2020年に博士課程を修了しました。特に西洋の古典絵画と、日本のサブカルチャー、アニメや漫画とのかかわりをテーマに作品を描いたり論文を書いたり研究をしています。普段は京都のギャラリーや美術館などで作品展示をしています。

今回の展覧会「トリックスターは笑わない」では、普段と違った展示をしています。こちらの作品についてはまた後ほど解説させていただきます。

まず、私が西洋絵画に興味を持った原体験が「フランダースの犬」のアニメです。ネロとパトラッシュが最後、ルーベンスの絵を観てハーっとなるシーンがあるのですが、子供の時にネロと一緒に感動して見ていました。キリストが十字架にかけられる瞬間を描いた17世紀のバロック時代の絵なのですが、こんなに素晴らしい絵があるのかと思いました。

同時に子どもの頃から「ドラゴンボール」や「幽遊白書」などにも影響を受けていて、少年漫画の特別な主人公たちが世界を救うストーリーに影響を受けて、今の絵画のスタイルが生まれました。

アニメやゲームの話に焦点を当てると、西洋の世界観を背景に描かれていることが多いんですよね。少し前に、京都で「ルーブル美術館展」を観たのですが、隣で小さな子どもがバロック時代の作品を見て「ドラクエっぽーい」って話をしていて、それを聞いた時、ものすごく文化と時代がねじれているなと感じました。異国の古典絵画を見て子供がドラクエぽいと言ったり、私が子供時代に感じた懐かしさを感じたりする現象に興味が出てきて、そのねじれを自分の作品に描きこんでいます。

最近、ジョセフ・キャンベルという神話学者の「神話の力」という本を読んだのですが、西洋東洋問わず発生する神話の中になぜか似通った部分があるらしいのです。神話の中の主人公は、最初荒くれ者だったのが、怪物を倒してお姫様を守って、人間的に成長し神に近い存在になっていくと。その本を読んだ時に「少年漫画ってめちゃくちゃ神話やん」って思って、笑。なので、私がバロックの聖書の世界が描かれた絵画を見た時に感じる感覚と、漫画を読んでいる時とか、ゲームに没頭してラスボスを倒しにいく感覚が妙に似ているんですよね。その共通点に最近気づいて「私はそういう仕事を絵の中でやっているんだな」と思うようになりました。

そもそも、人間は時代が変わっても根源的に求めるものがあって、それが神話として発生し続けているのではないかと思っていまして、その物語を解釈することで、人間が普遍的に求めているものがわかるんじゃないかと思って。私は、自分の絵画の中にそういった物語性を入れ込もうとしています。


岡本太郎展示風景(2021)

唐仁原さんが描かれる作品はどれも大きいですね。それはやはり唐仁原さんが表現する物語にとって必要なのですね。

作品が大きいと、鑑賞される方がまず圧倒されるじゃないですか。人物も実寸大で描かれているので、今まさにここでドラマが起こっているような没入感が生まれます。私は鑑賞者をかなり意識していて、鑑賞者がまさにそのドラマの一員として空間の中に入っているような感覚を狙って描いているようなところがあります。

唐仁原さんの絵には群像であったり、人魚の姿をした少女がいたり、なぜかマトリョーシカがあったりと、端々に小さな仕掛けが入っていますね。

観る人の知識によって、違った物語が作られるような仕掛けをしています。例えば、ドラクエを知っている人が棺桶が三つ並んでいるのを観たら「これは、勇者が死んだ時に引きずる棺桶やん」って見てくれるんですけど、知らない人は「タナトス的な何かでは」などと重々しい物語を構築してくれるんです。そんな現場を私はクスッ笑いながら見ています。私の絵をトリガーとして、その人なりの物語を見せてもらっているというか、でも、その中に共通する何かが生まれてくるんです。それはきっと普遍的に人類が望んでいる物語ではないかと思っています。


唐仁原希「トリックスター」

今回の個展作品は、これまでのストーリー性のある作品とは全く違ういますね。まず背景がなくて、シンプルな茶色一色です。

この茶褐色の背景は、西洋絵画のオールドマスター(巨匠)たちが描く絵画の下地を意識しています。油絵具で「ヴァンダイク・ブラウン」という色があって、ルーベンスの弟子のヴァンダイクという人がよくこのような色を使っていたそうです。そういう経緯もあってこの色を下地に選びました。

なぜ今回、背景を排除したかと言いますと、今までの作品が物語に少し寄りすぎたかも、と、思う時があったんです。「絵画」というのは、画家が描きたい対象を描く以前に「絵の具」なんですよね。絵の具で、物質で、筆致があって、絵の具を混ぜるという経緯があって。そういった画材との戯れを画家として見せる使命があると私は思っていて、それぐらい画材としての絵の具が好きなんですけど。今回、これまでとは違う角度から「絵の具の仕事をしている」ということをふまえて描いたのがこれらの作品です。

人物はいつものように写実的に描いているので、そこに人物がいるようなリアリティはあると思います。ふと背景に目を向けると、下地のままであったり、筆致が残っていたりして絵画に立ち戻る瞬間があって、現実に揺り戻される「揺らぎ」みたいなものが表現できればと。ゲームに没入して、はたと現実に戻された時のあの感覚。それを絵具という物質を使って表現できないか、画家として絵具の仕事を見せられないか。そういった諸々の理由から背景を無くしました。

「物語を大切にしている」と言ってはいたものの、物語によりすぎてしまうと「絵画」として弱くなってしまうんです。絵画って自己言及性があるのですが、私自身がその自己言及性について試行錯誤してやってるというところがあります。


唐仁原希「トリックスタースター」(2022)


今回テーマに、少年、道化師を選んだ理由はなんですか。

まずは「トリックスター」とは何かという話ですが、「トリックスター」は物語の筋を破壊するものの象徴といわれています。「ピエロ」あるいは「アルルカン」も「トリックスター」と呼ばれていますし、日本神話の中のスサノオノミコトも「トリックスター」と言われています。

孫悟空もそうですね。

そうです、少年漫画の主人公にも「トリックスター」的要素が多くて、守りながら破壊するというか。今回展示した3連作は、背景を無くすことで自分自身の制作史の流れや画風を破壊したので、「トリックスター」的な要素があるのかなと思っています。

このシリーズを描く前に、ピカソの展覧会を観にいったのですが、ピカソもピエロの絵をよく描いていて、自分の息子にピエロの扮装をさせて描いたりとか、ロココ時代のヴァトーという画家もピエロの絵を描いています。右の作品は、ヴァトーの引用で、ポーズも真似て描いているのですが、そのように歴代の巨匠が描く「トリックスター」への興味と、美術史の中の画家たちがどうしてピエロを描いたのかということも知りたいという気持ちもあって今回の作品に挑みました。



左)アントワーヌ・ヴァトー「ピエロ」(1718 ) 右)唐仁原希「トックスター」(2022)

背景のない三連作の絵画といえば、美術をご存知の方は、黒田清輝の「智、感、情」という裸婦像を連想される方がおられるかもしれません。黒田清輝は、当時、日本画家が裸婦を描いたことで、ひどく批判をされたという経緯があって、でも彼は裸婦画をパリ万博に出したんです。当時、彼は印象派に影響を受け、情緒的な背景のある絵を多く描いていたのですが、この裸婦像は背景がありませんでした。黒田は西洋画の中に日本画の要素を融合させ「日本人がなぜ西洋美術をやるのか。日本人らしい西洋美術とは何だったのか」を訴えたかったのでと思うのです。日本人の私が西洋美術を描くのかという葛藤が、黒田清輝の連作ともシンクロしています。


黒田清輝「智・感・情」(1897)


背景も茶色、少年のコスチュームもモノクロ、シンプルだけに、人物が飛び出してくるように見えますね。

今回は自分の絵から色彩を排除したいという思いもあって、かなりシンプルにしています。いつもは足し算の仕事しているのですが今回は引き算の仕事だと思います。いつもは花束を作るイメージですが、今回は盆栽を作るイメージです。間引く経緯を見せることで絵画の理解にもつながるのではないかと思っています。

その挑戦も、人物を描ききれる画力があってこそだと思うのですが、表情にとても説得力がありますね。唐仁原さんの作品に出てくる人物は全て大きな瞳をしているのですが、どのような意図があるのでしょうか。

日本の漫画やアニメキャラクターのデフォルメを踏襲しています。なぜアニメの瞳が大きいかというと、人物の感情が伝わりやすいからなんですよね。私の絵は漫画の技法を使って、目を心の窓として、人物の心を読み解いてもらおうとしています。女の子の目の方が大きいのもやっぱり少女漫画の影響ですね。髪型だけが違って他は同じ顔というのも漫画の手法です。



作家近景

今回、3点の大作に加えて、ドローイングの作品が並んでいます。きちんと色もついて描かれている作品です。普段「ドローイング」というと「線画」のイメージなのですが、これらの作品を「ドローイング」とされているのはどうしてですか?

私の思う「ドローイング」とは「下描き」とか「構想段階」という意識があって、完成作と区別するためにわたしはこれらの作品を「ドローイング」と位置付けています。

大きな三点の作品は「習作」であることが「完成」である「本作」であるのに対して、こちらは最初から「下描き」であることを前提とした「ドローイング」です。見た目一緒やん、て感じですが。笑。個々の描かれている人物たちは次の花束のシリーズの主人公になるかもしれません。次の構想として、中世のモチーフだけではなく、現代的なコスチュームの人物も描いています。あと、角の生えた人も描きたいなと思って、そんなドローイングもあります。いいアイデアもすぐ忘れちゃうので、メモを取るように描いています。



唐仁原希「ドローイング」シリーズ(2022)

先ほどから、西洋絵画と日本のエンタメカルチャーの共通点やねじれの話を伺って、改めて、難しそうとか、古典だからと敬遠していた西洋絵画がグッと身近になったような気がしてきました。

そう思っていただいたら画家冥利につきますね。私は最初、アートに対してコンプレックスを持っていたんですね、漫画やゲームが好きで、そこに楽しみは覚えていたのですが、美術に対しては敷居が高く、高尚なものと思っていて。でもそれは私の偏見だったのですね。哲学的な事は、意外と身近に存在してるんですよ。なので私の絵を通じてそういう理解をしてもらえたならとても嬉しいなと思っています。私は、子どもでも楽しんでもらえるような間口の広い絵を描ければいいなと思っていて、それはいつも意識しています。

ルネッサンス時代の絵って、それを絵画として意識していた人がどれくらいいるのかなと思っているんですよね。写真がなかった時代なので、神話とか、聖書の物語とか、王様の方針とか、プロパカンダや広告的に絵画が使われたりとか。ですから絵画が高尚なものと認識されるのは、もっと後になって作り上げられたイメージではないかという気がしています。古典的な西洋絵画も、改めて観ると「なんて生き生きしているのだろう」と思いました。その時代の騒めきとか、空気とかも感じとれますね。

古典絵画の時代は識字率が低かったので、字が読めない人に聖書を伝えるための手段であったりと、人間であることを否定せず「人間って素晴らしいんだよ」ということを教えてもらえる存在としてあったのではないかと思うんです。改めて絵画の可能性を考えた時に、あの時代に立ち戻ってしまうところがありますね。

ある種エンタメみたいなところがあったんでしょうね。

そうですね、バロック絵画ってエンターテイメント的なところがあると思いますよ。映画館で映画を見ているような。でも、いまスマホでゲームや小説に没頭しているしていることも、メディアは違えど、当時、絵画がやっていたことと何ら変わらないのではと思ってしまいます。スマホのように、ルネッサンス当時、身近であった絵画というものは、ある意味今っぽい解釈ができるのではないかと思いますね。



作品を前に没入してください。

会場からの質問

唐仁原さんの作品は非常に安定感があると思いました。例えば三つの作品では、両端の衣装の飾りがそれぞれ四つずつ並んでいて、真ん中の人物だけが座っていて、飾りが三つであったりすることもとてもバランスがいいと感じました。唐仁原さんは作品制作される時に数字のバランスについてもお考えがあるのか聞いてみたいです。

この絵に関してはこの絵は実際に三枚並べて描いていたので、服の飾りでリズムがとれるように意識しました。この並びだと右端人物の足元にも飾りがあった方がバランスがいいなと思って付け足したり、音符のリズムのように計算して描いてみました。「数字に意味があるのでは」というご質問がいただけたのも、私の絵の中にオリジナルのストーリーを感じていただいているなあと思って嬉しく思いました。

会場からの質問

描かれている子供のキャラクターに設定はありますか?

なぜ子どもを描くかというと、日本の漫画の主人子はみんな子どもなんですよね。特に世界を救う系のアニメやゲームの主人公がそうですね。ガンダムでもエヴァンゲリオンでも、なぜか「未熟なものに世界を託す」というストーリーが多くて、これは日本文化の独自性ではないかと思っています。私自身も共感がしやすいし、大人は誰もが子ども時代を経験しているので、マッチョな男性や、グラマラスな女性キャラクターを描くよりも、観る人が共感しやすいのではないのかと思います。

先ほど絵画とは自己言及性があると話しましたが、人間も自己言及性を持って生きていると思っているのですね。なぜ生きているのか?人間は自分の未熟性をよくわかっているから、神様という存在を据えて、それを目指して生きていこうとする。未熟な子どもをテーマにするのは、「成長過程である人間」を表現しやすいから、だとも言えます。でも人からは、10年前より描いてる子どもが少し成長しているねって言われますけどね。

会場からの質問

唐仁原さんが描く人物のポーズなどにこだわりはありますか?

どこかで見たことがあるポーズを意識しています。西洋絵画の王様ポーズであるとか、セーラームーンのキメポーズだとか。わざとらしいポーズをとっていると「何か意味があるのではないか」と思ってもらえる。ある意味「開かれているポーズ」を意識していますね。

会場からの質問

唐仁原さんのお話を聞いていて「とても言葉が美しいな」と感じました。言葉の選び方やロジックも素晴らしいなと思いました。質問ですが、言語から作品につながることはありますか?

言語はかなり意識しています。自分の興味があることが、とても抽象的なことが多いので、できるだけ具体的な言葉で例えられるようにしたいなと思っています。私は、お笑い芸人が大好きで、例え話がうまいですよね、例えば千原ジュニアさんだと、彼はグラタンが大好きで「助手席に乗せてドライブに連れて行きたいぐらい好き」と言われて「うまい!」と。笑。「好き」という抽象的なことをドラマチックに伝えられてすごいな。と。私もそういう抽象的なことを何か言葉で差し示すことができればいいなと思っていつも考えていますね。



チグニッタのインスタストーリーズ

本日はありがとうございました。

いま、チグニッタのインスタのストーリー企画で、唐仁原さんの作品を見て「あなたが感じたストーリー」を募集しています。鑑賞者それぞれのストーリーが唐仁原さんの作品世界をより広げてくれますので、是非ご参加お願いします!

私に物語をください! 笑。






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