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MASAKI HAGIHARAインタビュー



3月3日(金)からチグニッタで個展開催!昨年行われた「メタセコイア・キョウマチボリ・アートフェア」でCAMPFIRE代表、家入一真賞を受賞したアーティスト、MASAKI HAGIHARAのインタビュー、二年前に「独断で」絵を描き始めたというユニークな経歴を持つ彼の自分探しストーリーをお読みください。


 

MASAKI HAGIHARA(萩原 雅規)

2020年、コロナ禍で世間が閉塞感に溢れる中、自らを見つめ直し、アーティストとして生きるべく独断で絵を描き始めたMASAKI HAGIHARA。scratch(傷)をテーマに、心臓や自然といったモチーフに作品を制作。名古屋のギャラリーを中心に作品を発表。2022年にメタセコイア・キョウマチボリ・アートフェアにエントリーし、アートコレクターとしても名高いCAMPFIRE代表、家入一真賞を受賞。2020年には実家でもあり、岐阜で50年続く老舗めん処から独立、子どもの頃から食べ続けてきた「冷やしたぬき蕎麦」だけをメニューにした専門店を岐阜にオープン。

 


岐阜と大阪を繋いでzoomインタビュー

萩原さんは、実家の麺処でずっと働いてこられたとのこと。どんな学生時代したか?

勉強というよりも部活動ですね。小中学生時代は柔道、高校からレスリングをやってました、将来のこととか、これがしたいとか好きなことも正直なくて、部活漬けの毎日でした。

高校卒業になって、体育会系だったんで親から消防士を勧められて。消防士もいいなと思って書店に行って参考書を見たんですけど本がすごく分厚かったんですよ。それで消防士はやめようと。笑。親に言ったら、大阪の辻調理師専門学校の1日体験がを進められ、行ってみたら楽しくて即決しました。辻調出てから地元のホテルでしばらく勤め、お祖父ちゃんが亡くなったこともあって、それから実家の麺処「堀川」に入って18年です。

素直な人生ですね。

そうですねー。素直さゆえ、親の期待に応えたかったのか、18年間働きました。やりがいを自分で見つけながら、夜に居酒屋をやってみたりとか、店長として任されていたこともあって、やってましたね。

では、それまでほとんどアートは関係なかったんですね。

もう1ミリも関係ないです。



岐阜で40年以上続く、実家の手打ちめん処「堀川」

どういうきっかけで絵を描こうということになったんですか?

36の時に、すごく迷ってしまって。このまま続けていることに不満もあるけど辞めることもせず、でも仕事に興味も無くなって、体調を崩してしまったんです。一か月ぐらい職場に行けないっていう状態で。小さく積もっていたストレスが限界になってしまって。自分のコップが一杯になってしまったというか「自分らしく生きることってなんだろう」って思い詰めて、立ち上がれなくなってしまったんです。それが、自分に本当に向き合うきっかけにはなりましたね。

休んでいる間に「自分が本当に好きなことってなんだっけ」って改めて探すようになって、そのなかで自分の中にあったのが「冷やしたぬきそば」と、あと、物作りが好きだったんですよ。陶芸とか家具を作ったりとか。その中で子供の時に先生に絵を褒められたことがあったのを思い出して「絵を描く」という候補はあったんです。で、手元にあった子どものことの絵の具や画用紙でとりあえず絵を描いてみるかと。子どもの時にやったように、絵の具を直接紙に出して、手で塗りつぶして動物の絵を描いてみたんですけど、時間を忘れて描いてたんですよ。「この感覚、楽しいな」って思って。「絵描き、いいなって」笑。それがちょうど二年前です。

なるほどー。

で、どうせ新しいチャレンジをするんだったら「絵のステータスは何だ」ってググりました。それで出てきたのが「個展」「東京」「パリ」「ニューヨーク」「オークション」とか。それ片っ端からやっていこうと思いました。



冷やしたぬき天国


それと同時に、自分の「冷やしたぬき専門店」を作ったのも2年前。

絵の方が早かったんですけど。その時は絵と、実家の仕事と二本でやっていこうと思ってたんですけど、その時に「雅樹さんと働きたいです」という奴が現れて、今の店長ですけど、彼の言葉がきっかけになって、それまで「自分だけのたぬきそば」イメージを形にしようと思ったんです。

昨年、お店に伺って初めて食べさせてもらったんですけど、「冷やしたぬきそば」というのは岐阜ではポピュラーなメニューなんですね。

そうです。自分が生まれた時から食ってきて、誰よりも好きなメニューなんで、自分の一番好きな「冷やしたぬきそば」だけで店をやったらどうなるんだろう。自分だけの「冷やしたぬきそば」をクリエイトすることってアートだなって思ったら、止まらなくなって「試してみたい」と実現させました。

とはいえ、独立してお店をやるとなったら場所も探さなければならないし、内装も、資金も必要になりますよね。その辺の動きはどうされたんですか?

コロナ真っ只中とかもあったんですけど。ただただやってみたい、何とかなるだろう、みたいな。好奇心だけで動いてました。

ご家族はどういう感じでしたか?

親父は最初は反対してたんですけど、奥さんはもうとにかく応援してくれました。動きながらも業者も見つけて、思いついてから3、4ヶ月後にはオープンしていましたね。

場所も駅から10分ぐらい離れてて、駐車場もないので飲食店向きではないのですが、窓が前面にあって、店の中から金華山が一望できるところとか、住所が泉町なんで、なんか湧き出るイメージとか。笑。そんな感じで気に入ってしまって決めました。居心地がよかったんです。

すごい決断力ですね。





店も二年目になってようやく軌道に乗ってきました。夏は行列がない日はない感じですし。 自分のやりたいことを形にできましたね。 「一杯入魂」というのをコンセプトに、一つしかないメニューに取り組んでいますよということが伝わったのかなと。 「冷やしたぬきそば天国」ってネーミングもいいですもんね。 ありがとうございます。でもかき氷屋さんって思われたりもして、笑。一年目の冬は本当に大変でした。笑。


なるほど。自らの城「冷やしたぬきそば天国」を切り盛りしながら、アートを制作しはじめたんですね。絵の具をヘラで伸ばしていく、萩原さんいうところの「スクラッチ」というスタイルっていうのはどのように発明したんですか。 初めは景色とかも描いてたんですが。SNSとかを見て、海外のアーティストがそんな手法で描いてる方がいたんですね。筆を使わず描いているのが単純にかっこいいなーと思って、自分もやってみようと思いました。画用紙に絵の具をぶちまけて、定規で削ったりして、とにかくものすごい数を描きました。描いているうちに自分は丸いものより、ギザギザが好きだなとか、シンプルだけど傷ついているものとか、白黒が好きだなとかわかってきて。そのうちキャンパスというものがあるってわかって、素人なので。笑。キャンパスにトライし始めたら、よりやりたい絵に近づいてきました。 絵を描き始めたときから、まず個展をやろうと最初から決めていたので、そこにはテーマが必要なことはわかっていたので、描きながら「スクラッチ=傷」っていうもの思いついたら、それに魅了されて、その中で何ができるのかをいま探っている途中です。



初個展(2020年11月 クリマギャラリー)


初個展は、いつですか?

キャンバスに描いた時点でもう個展をしようと決めてたんで、描き始めてから3ヶ月後には個展をしました。はじめ地元の岐阜で会場を探しました。ギャラリーさんに行くと「君はどういう経歴なの?」て聞くから「描き始めて二ヶ月です」っていうと「まずはギャラリーに絵を観に来たら」って軽くあしらわれて、そんなことが3、4件続いて。

まあそうでしょうね。

お願いしたらいけると思ってたんで。本当にわかってなくて。ネットで調べたら自分でお金を払ったら借りれる場所があるってわかって、どうせなら岐阜より名古屋でやる方がよりいいなと思って、ちょっと高かったけどかっこいい貸しギャラリーを見つけて個展を開催しました。場所代、15万しました。

一発目どうでした?

結果として場所代はペイすることができました。身内もたくさんきてくれたんですけど、お祝いで買ってもらうとかは嫌だったんで、初めから値段を高めに設定したんですが、それでも売ることができました。ギャラリーで展示できたことはもちろんですが、この絵を「かっこいいと」思って買ってもらった方から、家に絵を飾っている写真を見せたもらった時に「ああ、アーティストって幸せだな」と思いました。今でもその感動は忘れないですね。



個展(2021年7月 名古屋三越 ARTE CASA)


デビュー戦からすごいですね。百貨店でもやってませんでした?

はい。三越でやらせてもらいました。初個展を見にきてくださった方に「君、面白いね」と言ってもらって、そのご縁で声をかけてもらいました。最初は松坂屋のグループ展をやらせてもらって、そのまま三越でも個展をやってみなよと言われて。

なるほど。それが、萩原さんが「メタセコイア」に応募する全キャリアですよね。

はい、全キャリアです。笑。

そこから「メタセコイア」に繋がってくるんですか?

まさにその通りです。個展もできたので次どうしよう、ってなったので、ネットで「登竜門」というサイトを見つけて、そこで「メタセコイア」のコンペを見つけました。

「登竜門」には数ある応募コンペがあったと思いますがなぜ「メタセコイア」だったんですか?

理由は二つあって、「メタセコイア」も第1回目というできたばかりの新しいフェアであり、「メタセコイアから世界へ」というキャッチフレーズにぐっときて、ここでチャレンジたいという気分になりました。

あとは審査員の中に家入(一真)さんがいたことです。「メタセコイア」は、今までのフェアにはない「賞金が出て終わり」じゃなくて、いろんな審査員さんに見てもらえて、評価してもらえるという、ほかのコンペよりもお堅い感じがしなかったんですよ。ここに出したら自分のアーティストとしてのキャリアだけじゃないものも見てもらえるような気がしました。可能性をすごく感じたので応募しました。



2022年に開催された「メタセコイア・キョウマチボリ・アートフェア」で家入一真賞を受賞


本当に僕らが考えていたことをストレートに受け止めて応募してくれて嬉しいですね。応募作品は画像3点出せたのに、1点だけで出したのは理由があったんですか?

狙ってました。その時見てもらいたい渾身の1枚がそれしかなかったというのはあるんですけど、技術もないので、一番強い思いのあるものだけを見てもらうしかないのかなと。そんな気持ちでした。

本当にすごいインパクトがあったんですよ。家入さんもそうだったんですけど、ぼくも「すげーな」と思って。ふてぶてしい感じがしたんです。笑。「独断で絵を書き始める」という自己紹介とか。他の応募者の整ったプロフィールと違って「ごっついアツいやつやな」って思って。「独断」って何やねん、とか「2ヶ月で百貨店の個展」とか「冷やしたぬきそば」って何やろうとか。ものすごく気になったんですね。これ描いたやつに会ってみたいと。でも、家入さんが審査員賞を出してしまったんで、ぼくはレコメンドにしたんですけど、家入賞、すごかったですね。


いや、嬉しいです。



「メタセコイア・キョウマチボリ・アートフェア」審査員コメント


家入さんはコレクターとしての目線がすごくある方なので、現場で選んでいただいて作品もお買い上げいただいたというのは素晴らしいですよね。「メタセコイア」としても「名前の知れた人が定番で優勝」みたいなものではなくて、こういう奴が400何人の中から勝ちあがって出てくるというのがいいなと思いました。

ありがとうございます。

でも、これ、相当自信ついたでしょう。

賞を取ったことによるプレッシャーはありますけど、それが自分を前に押してくれているという部分はあるので、アーティストとして覚悟が決まったというか。絶対やめない、という。

そのあとなんばパークスのアートフェアでも作品が全部売れたし。美術を好きな方の琴線に触れる魅力があるのだろうなというのは強く感じましたね。今回の展示は満を待しての展覧会ですが。

自分の今出せるものを全部出したいのと、その中でも新しいチャレンジもやってみたいと思っています。自分らしくできたらいいのかなと思っています。



「メタセコイア・キョウマチボリ・アートフェア」作品を前に


自己実現をするために、マーケティングや戦略はいらない。ただ情熱と勢いがあればどうあれ道は開けるんだなあとHAGIHARAさんの話を聞いて思ってしまいました。僕の最高の褒め言葉である「アホやなあこいつ」をまさに地でいくアーティスト。キャリアが短くても真剣に考え、無心で描き続けて生まれた「scratch」と呼ばれる作品シリーズには、彼の情念がしっかりと表現されていて、しかも洗練されている。アートの目利きも頷かせ、初めてアートを見る人も楽しませる作品こそが、彼の今の生き様を表しています。さあ勢いだけでどこまで行けるか。躓いても決してやめない彼の決意みたいなものを込みで応援したいアーティストだと改めて思いました。岐阜に行かれる機会があれば、彼のもう一つの作品「冷やしたぬきそば」も、皆さんにもぜひ味わっていただきたいです。



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