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橘ナオキ 最新インタビュー



大阪を拠点に、ダイナミックな壁画からポストカードサイズの作品まで、さまざまな手法やテーマで多くの人に原画に触れる体験を作り活動を広げている画家・橘ナオキさんをインタビューしました。画家になったきっかけや、画家として在りたい姿や抱負などを語ってくださいました。橘ナオキ探求の旅へしばしご案内します!(取材:笹貫淳子)


 

橘ナオキ 画家・アーティスト

1976年生まれ。大阪在住。ファッションデザインを学び、アパレル業界で15年間のキャリアを積む。
2016年40歳にして画家として活動を始め、額装家の多喜博子と共にアート&フレーム・ハルキハウスを結成。多様な環境で新しい形の展覧会を次々に開催し、デビューから現在までの6年間で発表した作品は2500点を超える。
主に動植物を描くことを通じ、個と全の連関を思考し続けている。一つ一つの命を讃えるポジティブなメッセージが主題であり、明るく美しい作品が特徴。

チャリティや寺社仏閣への奉納などを通じて、自己表現の域を超えるアーティストの役割りを探求している。

【奉納】
*長尾天満宮(京都)2020年7月12日、壁画【悠久之歌】奉納
*大成龍神社(広島)2020年8月21日、絵画【雨龍水天戯画】奉納
*北野天満宮(京都)2020年12月19日、絵画【春来たる。】奉納
*御幸森天神宮(大阪)2021年12月26日、大絵馬【双寅大輪舞曼荼羅】奉納
アーティストFacebook: https://www.facebook.com/bananagyro ハルキハウスFacebook https://www.facebook.com/harukihouse/ アーティストInstagram: https://www.instagram.com/artist.naokitachibana

 


だったら自分たちでやろう


橘さんはアートを生業にされています。それまでいろいろな経験を積んできて、現在に至っていると思うのですが、橘さんは仕事としてのアートにどんな風に向き合っていますか?


(橘) アートを生業にするというのは、他の業種とは全く異なる意味合いがあると思っています。商売をするという事だけでなく、作品制作はもとより言動や活動、考え方などにおいて他者にインスピレーションを与え続けることがアートだと考えています。また、「自分自身や作品の存在を発信する事によって、アートの目線で何が実現できるのか」という探求も根底には有ります。作品が売れるというのは、そういった活動の一つの結晶であると思います。


40歳の時に画家になる決意をした、と聞きました。きっかけを教えてください。


(橘)きっかけはパートナーである多喜博子さんとの出会いでした。互いに社会人としても長く、会社員としてどこかに帰属しながら働いて来て、人生の基礎はしっかりやってきた。その基礎を活かしながら「全くやったことのない新しいことを、これからの人生で二人で挑戦してみよう」ということになったのがそもそものきっかけでした。今でこそ多喜さんは額装家として道を切り拓いていますが、当時はまったく違う仕事をしていました。さて、二人で何をやるか?となった時に、以前から多喜さんの願望であった「アートギャラリー」をやってみようか、、ということになり(笑)それならば、まずはギャラリーで働いて運営とかを勉強しようという意気込みで、二人でいろいろなアートギャラリーを訪ねては「バイトをさせてください」と売り込んだり。でもね、そもそもスタッフを雇えるようなアートギャラリーに大阪では出会えませんでした。だったら、自分達でやろうということになり、「ア―ト&フレーム ハルキハウス」を結成し、僕たちのアート活動がスタートしました。


そこからパートナーの多喜さんは額装家の道へ、橘さんは画家の道に進んでいくことになるんですね?


(橘) はい。当時40歳だった僕は、ある意味、軽はずみに始めたわけです。画材を購入し、とにかく描いて描いて描きまくりました。ある時、薔薇の絵を描いてみたところ、某有名大学の副学長が購入してくださり、そこからさらに火がつきました。その後京都の先斗町にあるBARのオーナーから「店内に龍の壁画を描いてほしい」という依頼がありました。壁画はもちろん初体験です。龍も描いたことがありません。そして壁面は幅にして4メートル近い。。。そこで怯まないのが僕でして(笑)危機的状況が好きなのかわからないけど、失敗の許されない状況が自分には合っていて、キャンバスに描くよりも壁画は劇的やりやすかったのが、快感と共に会得した体験でした。


初めて描いた壁画『龍の巣~黒龍~』2016年9月制作 「気BAR/KiBAR」


(橘) 5年前、画家になって初めて頂いた壁画のお仕事です。京都の先斗町にあるBARのVIPルームの壁面に直接描かせて頂きました。初めて10万円を超えるギャラのお仕事でもあったので、とても興奮しました笑

壁画はキャンバスに描くのとはまったく違うスイッチが入るようで、大きいほどに構図が決まりやすく、描くスピードも速く楽しく描けるので大好物です。


いきなり得難い体験だったのですね。橘さんの画業宣言に対して周囲の反応はどうでしたか?

(橘)僕の周りの方々やアーティストの諸先輩からは、「大阪は本当に絵が売れない」と言われましたね。僕自身も振り返ればそうだったのですが、そもそもアート、絵画を買うという選択肢を持っていない人が多いんです。美術館で鑑賞して楽しむ機会はあっても、ギャラリーや作家から作品を買う選択肢がないことに気づきました。「そうか、まずはその選択肢を持ってもらうことだな」と考えて、廉価でも原画を手に取ってもらい印刷物とは違うエネルギーを感じてもらいたくて、小さな原画作品を描くようになりました。それがミリオンハートの一つのきっかけでもあります。原画を買うという特別な体験をしてもらうことで、リピーターが増えましたね。絵を買うきっかけを作っているのがミリオンハートの側面の一つです。



ミリオンハートのテーマ「ハート」を描く

「ミリオンハートプロジェクト」が誕生するまで


最初は誰にとってもアクセスしやすい価格帯で原画を提供するのがアイディアだったのですね。


(橘)そうなんです。ありがたいことに、初めて原画を購入してくださった方々が今でもミリオンハートのファンであり続けて、展示のたびにお求め頂くこともあります。それと、ミリオンハート誕生にはもう一つのきっかけがあります。壁画を描かせて頂いた先斗町のBARで初めての個展をさせて頂ける事になり、100枚描いた龍の絵が初個展で30枚も売れたんです。それ以外にも活動の一年目にたくさんの作品をご購入頂きました。だから翌年のバレンタインデーに、作品をご購入下さった方々へのお礼にとハガキサイズのハートの原画をお贈りしたところ、とても喜んでいただいたのです。原画購入のきっかけや、喜びを繋ぐという意味合いが当初からあったと思います。


なるほど。ハートを通してコミュニケーションも繋がっているのですね。そこから変化した現在の「ミリオンハート」について、お話ししいただけますか?


(橘)少し長くなりますが。画家としての1年目2年目は及第点。思った以上に売れて、これはやっていけるかも?と思いました。そして3年目は、あらためて「絵を売るとはどういうことか?」とすごく考えました。絵そのものよりも、作家や作品の背景も含めた優良な情報となって初めて絵が売れるのではないか? また、社会に貢献をしながら、自分達の知名度を高めていくにはどうしたら良いのか?そんなことばかりを考えていました。


そんな中でミリオンハートがチャリティプロジェクトとして昇華していったのには、多喜さんの存在があります。彼女が広島県出身であったことで平和について考える機会が身近にあリました。僕はアートを介して社会活動をしたいと考えていたし、二人で考え、原画への入り口となる体験でもあったハートの絵を【世界をハートであふれさせる活動】としてミリオンハートと名付けました。 画家になって3年目の年は、展覧会は一切せずミリオンハートの活動ばかりをしていました。 ■「ミリオンハートプロジェクト」とは■ 額装家の多喜博子と画家の橘ナオキが、祝福や感謝の気持ち、平和への祈りをハートの絵に込め、特別な人々への贈り物として始めたプロジェクトがチャリティ活動として発展し、ミリオンハートを販売した売上げ金の90%を、国境なき医師団や日本骨髄バンクなどの活動支援や、さまざまな災害義援金として寄付しています。2018年7月から現在までに販売されたミリオンハートは600枚に迫り、国内外の多くの人々の手に渡っています。寄付金額は累計で180万円に上ります。 2021年8月には、チグニッタスペースで「みんなにとどけミリオンハート展」を開催(終了しています)。アメリカで起きた同時多発テロ「9.11」からちょうど20年の年になぞらえて、橘ナオキが描いた911枚のミリオンハートを展示販売し、国境なき医師団に40万円を超える活動資金を寄付しました。https://chignitta.com/archives/items/event_millionhearts


このプロジェクトで初めて橘さんの作品に触れたり、活動を知る人もいらっしゃいますね。


(橘)はい。純粋に僕を応援してくださるファンの方々は毎回楽しみにしてくださっていますし、マイファーストアートとして原画を初めて買った方々にとっても、その体験がチャリティに繋がっていきます。僕は「ファンがアーティストを支援するだけ」では関係性は続かないと思っています。だから僕からもお客様には感謝の発信をし続けます。作品を1回買って終わりではなく、コミュニケーションを続けていきたいというのが僕のお客様との関わり方です。その役割りの一つとしてもミリオンハートは大切なコミュニケーションツールとなっています。


できる・できないの選択肢があるときには「できる」としか思っていない


軽い気持ちで始めた画業とはいえ、人生の転換期であったと思います。また、プロジェクトの認知も画家としての認知も裾野を広げていらっしゃいます。振り返ってどうですか? (橘)自分では他人が思うほどの大転換とは思っていません。絵は初心者でしたが、人との関係性を作ることや世の中にどの様に出ていくかなどは、これまでの仕事人生の経験が大いに活きています。


僕は、できる・できないの選択肢があるときに「できる」としか思っていません。例えば、僕は会社員時代に、中国人と生産交渉をする仕事だったのですが、最初は中国語が話せないから通訳を介していたのですが、いつも交渉で負けていたのです。ならば自分の言葉で交渉しようと思い中国語を勉強し、中国人との交渉にも勝てるようになりました(笑)


生活への不安も「どうにかなるわ」と思っていました。それが不安ならアート活動はしない方が良い。そもそもほとんどの作品が扱われないのが実情ですよね?そこをのしあがっていく気概が大切だと思います。僕は絵を描くことが得意であり、得意で楽しいことで勝負して、それでダメだったら仕方ない。それはその時に考えます。そんなことよりもSNSの発信も作品でも、人を楽しませることだけをずっと意識しています。



去年の年末、生野区の御幸森天神宮に奉納した大絵馬『双寅大輪舞曼荼羅』(そういんたいりんぶまんだら)

(橘)2022年の干支である壬寅の姿ですが、鋭い爪やむき出した牙は描かず、猛獣らしい威圧的な表情も描かず、一般的なトラのイメージである強さや凶暴さは表現しませんでした。

「僕たちはもう、そんな事に飽き飽きしうんざりしている」そう思っています。他者を傷つけたり、脅かしたり、虐げる事を明確に拒絶し、他者を尊重し、楽しませ、幸せにする事に自身の才能を活かし生きていたい。アーティストやエンターティナーであればなおさらです。

心身や命そのものが放つ美しさを見出し、鍛え、開放する。その事だけに集中し、生まれ出る作品のクォリティを高める事に尽力する。そんな自分で在り、そんな仲間たちと切磋琢磨して美しくカラフルな世界を作って行きたいと願っています。

2021年12月26日御幸森天神宮(大阪市生野区)に奉納。



表現の域を越えることを探し続ける


橘さんが今後、目指すことなどを教えてください


(橘)とにかくたくさんの絵を描いてクォリティを高めていきたいです。それさえ出来ていれば、結果はついて来るはずです。また、ミリオンハートプロジェクトをはじめとするポジティブな社会的アプローチもしていきたい。自己表現の域を超えるアーティストの役割りを探求ています。 画家のレベルとして目指すところは長谷川等伯の国宝「松林図屏風」です。自身のクォリティの確認のために国宝級の作品はよく鑑賞しに行きますね。その感動を肌で覚えて帰り、自分の描いたものからそれを感じられるようにならなければと思っています。



 

INFORMATION ミリオンハートプロジェクト活動NEWS:


現在ミリオンハートプロジェクトでは、【AED設置プロジェクト】に挑戦中です。 橘ナオキが描くミリオンハートをご購入頂いた売上げでAED(自動自動体外式除細動器)を購入し、必要としている町や施設にプレゼントすると言う挑戦を去年から続けています。 そして現在、大阪の空堀にある「ペイントラウンジ」にて、ミリオンハートをご覧頂けます。 「カラオケで歌うことを楽しむように、絵を描くことを誰もが気軽に楽しめる場所」として誕生した新しいアートスペースの爽やかな真っ白な壁面に、100枚のミリオンハートが展示されていますので、ぜひお越し下さい。(5月15日まで) ミリオンハートは一枚3000円(税込)でご購入頂けます。売上げの90%を様々なチャリティ活動に寄付いたします。


インスタグラムでもご覧頂けます。 https://www.instagram.com/millionheartproject/

ペイントラウンジ 住所:大阪市中央区瓦屋町1-2-11 からほりかわらやえん302 営業時間:火曜日〜日曜日 10:00-19:00 (最終受付 18:00) 月曜日定休日 ミリオンハート展示期間は5月15日(日)まで



5月15日まで開催の「ミリオンハートプロジェクト」のペイントラウンジでの展示の様子と、展示作品の一部。


ペイントラウンジさんのエントランス。パレットと絵筆があしらわれた素敵な飾り扉があります

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