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ペイジ・サージソン



ジュエリークリエイター ペイジ・サージソンの転換期とローカルコミュニティ


今年2月、アメリカの新聞 The New York Timesで「苦戦するソーホーに対してブルックリンの独立系ストアが健闘」として、コロナ禍によるNYの流行発信地SOHOの苦悩と、川を隔てたブルックリンの好調の対比を示唆する記事が掲載。読み進めるうちに何と、以前一緒に仕事をしたジュエリーブランド 「ペイジ・サージソン」の名前が出てきて驚きました。好例としてかなりの量を割いて紹介されていたのです。私とブランドの創始者であるペイジ・サージソンとは10年ほど前に数年間一緒に仕事をした間柄です。たまたま読んだ新聞記事がご縁で交流再開。世界で最も競争力の激しいNYを離れブルックリンで勝負をかける16年目のブランドが迎えた2020年。大きな転換期を迎えたクリエイターをチグニッタでインタビューをさせてもらいました。

(取材:笹貫淳子)

 

はじめに


彼女と出会ったのは2005年か2006年。当時、私は海外ジュエリーの開発をしていて、毎年10年間は年に3回NYで開催されるファッション展示会「コーテリー」に出かけては日本未進出ブランドを発掘し日本で展開していました。ある年、展示会場での同僚とコーヒー休憩で歩き疲れた足を休めつつ「今回どの出展者が良かった?」と付箋だらけの資料を見ながらお互いの感想を話ししていたときに、唯一私たちが名前を上げた共通のブランドが、「ペイジ・サージソン」。ブランドを立ち上げたばかりの小さなコレクションでしたが、シンプルで万能的なデザインと素材や宝石の色のチョイスに工夫が散りばめられていました。また、著名なファッション展示会であるため会場はものすごいエネルギーに満ちているのですが、彼女の人柄はとても有機的な何かを発していたことを覚えています。最終的に私たちと日本市場展開の契約を結び、それ以降NYや日本で濃い仕事をたくさんしました。


私はジュエリー業界からクリエイティブ方面に移った10年ですが、彼女は今年ブランド創設16年。インディーのクリエイターとして着実に成長しニューヨークタイムスの経済記事にも登場したペイジのストーリーをお届けします。



ジュエリーデザイナーへの道

「自分自身を『アーティスト』として考えたことは一度もないわ。『クリエイティブ』な人間だと捉えていて、絵を描くのは得意ではないけれど、子供の頃から編み物、裁縫、コラージュ、木彫りなど組み立てたり形を作り出すことが大好きなの。」


アメリカとイタリアの大学を卒業後、サンフランシスコのバイオ系テック企業で働いていたペイジは自分で作ったビーズのネックレスをよく身に付けて出勤していた。


「私のネックレスが同僚からとても好評だったの。ある人が自分用にも作って欲しいと言ってくれて、彼女が私のジュエリーを初めて買ってくれたわ。社内でちょっとした評判になって、『私も欲しい』って言ってくれる人たちが、私のデスクに来てはビーズを見に来るの。そっと引き出しを開けて中のビーズを見せる時なんて、まるでドラッグディーラーの気分よ。」


これは彼女がNYに移り、2003年に自身のブランド「ペイジ・サージソン」をNYで立ち上げる前の話し。




クリエイターとして、母親として、会社経営者としてマルチタスクの乗り切り方


ペイジがリスペクトする憧れのクリエイターは、「ラップドレス」と言われるシンプルで機能的なワンピースをデザインした「ダイアン・ファンステンバーグ」だ。私は、日本でもペイジはこのブランドの服を着ていたのを今でも覚えている。


「彼女はスタイリッシュなクリエイターであり、有能なビジネスウーマンであり、母親でもありながら自分のやりたいことを実行している。年齢ごとのスタイリングも素晴らしい。ずっと憧れの人。」と話すペイジも同様にクリエイターであり事業者であり二人の小さな子供の母親、そして妻でもある。


女の人は本当に何役もこなすジャグラー(曲芸師)だ。ひとりのクリエイターとして独立し、1日に何度もクリエイティブな思考と現実を行き来する。彼女の1日は、スタジオと家と子供の送り迎えで目まぐるしく行き来する。


「どうやりくりしているかって? 上手くいかないことも多いわ。でも、ありがたいことに、スタジオやショップのスタッフ、友人、家族、夫、皆と協力関係を持てている。それにビジネスオーナーだからスケジュールも柔軟に対応するようにしているの。」とサラッと言ってのけるけど示唆に富んでいる。


つい私たちは自分で全て背負って、抱えきれないものばかりが目立ち役割の多さを嘆いてしまうことがある。でも彼女はこう教えてくれる。「周囲と良い関係を築いて頼ること。柔軟に対応すること。」これが孤独から解放しインディーでいられるように自分自身を最大化する秘訣なのかもしれない。




ブルックリンで暮らし、仕事をすることについて


彼女は今のようにブルックリンが注目を集めるずっと前から生活はブルックリンだ。マンハッタンに隣接するブルックリンは、人気の住宅街で、地元の商店が軒を連ね、コストパフォーマンスの高いレストランやスモールビジネスが集まる場所でもある。対して、マンハッタンは、世界の中心地。メジャー級のブランドや小売チェーン、外食産業、エンタメ業界が集中し、世界でも有数の一大消費地域だ。今、これに変化が起きているとペイジは言う。

「マンハッタンは今やゴーストタウンのようで静まり返っているわ。でも、私が住むブルックリンはロックダウンの時でさえ普段と変わらない、至って普通に日常が営まれている。」


ちょうど昨年、パンデミックが始まった頃に彼女が借りていた小さなスタジオは賃貸契約期間が終わるタイミングだった。更新の手もあったが、新しい場所で新しいことをやる必要を感じていたので前から気になっていた空き家の所有者に連絡をし、自分の手持ちはこれだけだが貸して欲しいと交渉した。最終的に大家も合意し、2020年秋にスタジオを併設したジュエリーショップをオープンした。


誰の目から見ても、生活制限が敷かれているコロナ禍の2020年秋に「ジュエリーショップ」を開業するのはリスクがあるように映るだろう。何がペイジ・サージソンを駆り立てたのか? 




何が彼女を駆り立てたのか?


「自分のビジネスを立て直す必要があった。」と彼女は話す。

「これまで私のビジネスはNYなど大都市向けの卸が売り上げの7割を占めていた。それがロックダウンによる取引先の休業で営業がピタッと止まり、売り上げは3割以下にまで落ち込んだの。私はすぐに個人対応のオーダーメードに舵を切り直し、オンラインショップも開設したわ。この個人向けの施作が功を奏してきたこともあり、個人向けビジネス、つまり小売に切り替えるため2020年秋に小売店をオープンしたの」


ショップ運営は新たな挑戦だ。しかしペイジは手応えを得ている。「ブルックリンに店を出して本当に良かったと思ってるわ。近所の商店や地域に人たちは、腕を広げて『いらっしゃい!』って開店を心から歓迎してくれたの。ブルックリンの人たちはわざわざマンハッタンには行かずに地元で買い物をする。地元で作られたものを渇望しているのよね。特にパンデミック以降は、ここで作られた手作りのものを熱心に探している、それが私にもコロナ禍であっても有利だと思う。」


90平米近い空間にスタジオ併設の店舗は、彼女の理想を形にした空間になっているようだ。

アパレルブランドのSteven Allanのショップ跡地で、高額品を買い求める層もよく知る場所というのも功を奏している。




インタビュー番外編


【これまでで一番シアワセだったことは?】

ジュンコと一緒に仕事した日本でのトランクショー(来日イベント)は確実に上位に入るわね。

皆さんのもてなしや歓待が、まるでロックスターの気分だったわ(笑)日本のお客様は単純に値段の比較もしないし、セレブが買ったのはどれかなんて気にしない。それよりもどうやってジュエリーが作られていることにとても関心があるのが嬉しかった。私の作品を身につけているお客様は世界各地にいて文化圏も違いますが、日本のお客様にはジュエリーの何かが彼らに語りかけているようで、とても光栄だったわ。



【ジュエリー制作以外で夢中になっていることは?】

編み物。8歳の時に母から教わって以来、編み物にはずっと夢中になってるの。織物や刺繍をやってもいつも編み物に戻ってくるわ。家族のためにもよく編むの。


【あなたにとっての「ギルティ・プレジャー」は?】

チョコレートとアイスクリーム!これなしでは何日も持たないほど止められないし、大抵は一緒に食べてしまう。。。

あとはアンティークジュエリーに目がなく全てのチャームや古いチェーンとか買い占めたい!アンティークのものは職人の技術が本当に素晴らしいわ。




インタビューを終えて


ペイジと何年ぶりかに言葉を交わしたけれど、「今」だからこそ以前とは違う形で響くものがたくさんあった。まさに、「全ての物事には時がある」。再会のタイミング。インディペンデントクリエイターの彼女へのインタビューを終えて改めて感じたのは、独自の活動をしていくということは「ひとり侍」ではない、ということ。とは言え、周囲から快くサポートしてもらうには日頃の関係性が「持ちつ持たれつ」を生み出す。身の回りのことからビジネス活動において、足元や地域を大切にする姿勢。ブルックリンという街の特徴が有利に働いていることを差し引いても、個々で活動していくことはどこかで一旗あげる時代はもう終わったのかなぁと感じたりもしました。リモートワーク・テレワークによって、「ここではないどこか」ではなく「ここにいてもどこにいても」まるっと発信できる時代。だからこその、居場所としてローカルがもっと大事になるのかもしれない。そんな想いを馳せて、コロナが終息したらブルックリンのPage Sargissonに行きたい。 (取材:笹貫淳子)





 

ペイジ・サージソン

ジュエリーデザイナー、「ペイジ・サージソン」ファウンダー。 アメリカ・ニューイングランド州出身。幼少期より祖父の木工スタジオで祖父と一緒に木彫りやサンドペーパーがけ、アリ溝加工などを学ぶ。 ブラウン大学を卒業後にサンフランシスコのバイオテック企業で働きながらワックスカービングのクラスを受講し、子供の頃に夢中になっていた創作と彫刻の世界に戻った。


彫刻にラフなブラシストロークのテクスチャーを使い、リサイクルされた18Kゴールドに鮮やかなサファイアとアンティークダイヤモンドを使って鋳造するという独自のスタイルを確立。 編み物や手芸が好きで、2人の男の子の母親でもあるペイジは、自分のスタイルをファインジュエリーのコレクションに生かしています。また、拾った素材やヴィンテージの活版印刷カレンダー、祖父母の旅の思い出の品などの質感をジュエリーに取り入れています。 ペイジのジュエリーは、生活に密着しています。子供を学校に送り出すとき、仕事のとき、夜の外食のとき……私たちの作品は、あなたの人生の瞬間に寄り添うものなのです。 最近では、2020年11月にニューヨーク州ブルックリンにスタジオを併設した自分の店をオープンしました。

 


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