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宮嶌智子インタビュー 「『泊まる』を創造する」



3月、とある会合でご一緒した笑顔が素敵な女性。どこか少年のようで気さくなお人柄に惹かれてお喋りをしていたら、大阪でホテルを経営されているらしい。よくよく聞いてみると、Hotel Noum OSAKA(ホテル・ノウムオオサカ、以下Noum)の代表取締役・宮嶌智子さんでした。私はそこのコーヒーとスイーツが好きで通っているし、私たち同じエリアに住んでいることがわかり、一気に勝手に親密度が加速。「もっとお話しを聞かせてください!」と実現した今回のインタビューです。


大阪は意外かもしれませんが「水の都」で、川と共に文化、商業、金融が栄えました。現在でも大阪市内には大小合わせて33本の河川があり、ここ10年ほどは行政も「水都大阪」を掲げて水辺のある暮らしや人の賑わいを積極的に推し進めています。中でも、「中之島」と呼ばれる中洲は、別名「大阪のシテ島」と言われ、大阪の発展に大きな役割を果たしてきた地域です。江戸時代には135もの諸藩の食料備蓄庫「蔵屋敷」がひしめき、近代日本では証券、金融、社交界が栄えた中之島界隈には今も独特の大人で文化的な香りが残ります。その中之島界隈の東側、旧淀川である大川が目の前に流れ、緑豊かな公園が広がる一角に、爽やかで海外のような趣を感じられるNoum。


宮嶌さんは山形県出身。福島大学在学中に、宮嶌さんの人生に大きな影響を与えることになる本間貴裕さん(のちのBackpackers’ Japanの創業者)との出会いがありました。今回の取材では当時のことからNoumを運営する現在に至るまで、たくさんお話を伺いました。

取材:笹貫淳子 取材協力:Hotel Noum OSAKA, Backpackers’ Japan 写真:Hotel Noum OSAKA提供、谷口純弘


 

宮嶌智子

Backpackers’Japanの立ち上げメンバーとして代表の本間と他2名と共に起業。1号店のtoco.(東京・入谷)では女将を務め、Nui.(東京・蔵前)開業後は全店のオペレーションを取り仕切る現場統括となり、採用から評価制度構築、各種トラブル対応など現場に関する業務の全責任を担ってきた。2018年に子会社として株式会社Noumを立ち上げ、2019年7月にHotel Noum OSAKAを開業。




 


〜 学生時代の仲間と駆け抜けた10年間 〜 ■宮嶌さんは学生時代に、宿泊業の世界で共に働く仲間と出会い、今のキャリアにつながっているのですが、学生時代からすでにこの業界でのお仕事を描かれていたのですか? いいえ、大学時代は学生向けのイベント企画をやっていたこともあり、新卒ではイベント系の会社に入り営業をしていました。入社して半年ほど経った頃に、学生時代の友人である本間から「起業するから仲間に入ってほしい」と声がかかったんですよ。彼とは学生向けのイベント企画など一緒に活動していたので気心が知れていました。他にも同級生ら仲間4人が集まったのが、全ての始まりです。


■当時、本間さんのやりたいこととは何だったのでしょう? 実は、集まった当時は「旅の価値観を伝える会社をつくりたい」という思いから旅行業で創業するつもりでした。4人で何度も話し合って、バックパッカー向けのゲストハウス運営をやろうということになり、Backpackers’ Japanを設立しました。時は2000年初頭、まだまだゲストハウスが日本に浸透していませんでした。とは言え、すぐに宿を始められたわけではありません。私たち全然お金がないよね、と。だから最初の1年は開業資金を貯める期間として、4人で鯛焼き屋さんをやりながらひとつ屋根の下で暮らして。学生の合宿みたいな日々でした。鯛焼き屋さんである程度の貯金をした頃、私自身がバックパッカー旅行もしたことがなければ、ゲストハウスにも泊まったことがないのは「これはマズイぞ!」って(笑)。ゲストハウス運営を学ぶ旅として、世界一周へ出かけました。


Woodを基調とした心地よいカフェでお話を伺いました

■宮嶌さんにとって初のバックパッカー旅行はどうでしたか? 日本からタイ、インド、ヨーロッパ、メキシコ、キューバ、南米、オセアニア、と20数カ国を3ヶ月で回りました。ゲストハウスは国や文化によって全然違うし、クオリティやサービスなどそこで学んだことについて一言で表すのは難しいのですが、ゲストハウス初心者の目線で「どういう宿が心地良いか」をひたすら探求しましたね。その間に日本に残った仲間が物件探しに奔走し、東京の下町・入谷の古民家を手に入れ、帰国後「一斉ゴー!」でBackpackers’ Japanのゲストハウス第1号店ゲストハウスtoco.(トコ)を開業しました。小さな宿でしたので、本当に一から手作りで作り上げていった空間です。初バックパッカー旅でとても印象的だったゲストハウスの記憶から、スタッフが旅人へ自然と「おかえり」と声をかけるような場にしましたね。


■だんだんとBackpackers’ Japanの事業規模も大きくなっていきますね。 そうですね、ただ私たち自身は事業規模を大きくすることはそれほど強く意識はしていなかったです。代表の本間が「やりたいこと」を全員でサポートしながら実現するために集まっているという感覚でしたね。私は日々のオペレーションやイベント・企画の運営を担当して、COOとしての経験を積みました。会社の理念が「あらゆる境界線を越えて、人々が集える場所を」でしたので、宿泊ゲストだけに向けた空間ではなく、地元に住む方や色々な背景を持つ人が集まる空間を目指していました。

〜 日本のスタンダードが世界のスタンダードでは無い 〜 ■やがて宮嶌さんはBackpackers’ Japanから、このHotel Noumへと次のステージに進まれますね。どういった流れだったのですか? 「そろそろ役員それぞれが稼いで行くステージだよね」と本間が言い出したのが、30歳になる少し手前の頃でした。とは言え、私は仲間と夢の実現のために日々奮闘していましたから、起業を自分ごとで考えたことはなかったので、うちのメンバーと一緒に宮嶌がどんな仕事をしたら面白いと思う?」みたいなアプローチで100本ぐらいのアイディアを出して行ったんですよね(笑)。「まかないを出す食堂」、「小規模のゲストハウス展開」「コンサルティング」「地方で何かやる」「人材育成」などもう多岐に渡り過ぎてて。そこで改めて自分と対峙しました。Backpackers’ Japanの存在を抜きにしても「宿泊業」が好きだということを再認識し、その一方でホテルに泊まっても満足しない自分がいることにも気づいた。「そうだ、自分が泊まりたい、好きになれるホテルを作る」ことに軸を置いて、ホテル作りの思考が始まりました。そこからは、「自分が好きなこと、共感できること、何が強みにできることか」を体感するため、国内外のホテルを泊まり歩きましたね。そこで見えてきたのが、日本のホテルは「テレビがないといけない」「冷蔵庫がないといけない」のような「なきゃいけない」というパッケージ的な発想が多い。「ここまで揃えているからお客様から文句言われないでしょう」、という印象さえ受けました。海外はそうではなかったんですよね。例えばLAで泊まったホテルは、日本での当たり前のものがなかったけれど、窓が大きくて光がさしてアートが部屋にあって・・・。「これでいいんだ。これがあると魅力的だよね。」というマインドセットで中規模のホテルを作ろうと決心しました。日本のスタンダードが世界のスタンダードではないし、色んな生き方があるように色んなホテルがある。「あ、これでいいんだ」ということに気づきましたね。それがHotel Noumを作るに至った原体験です。




■Noumは建物もファザードも素敵ですが、水の都大阪のシンボリックな場所にあります。ここにホテルを建てたい!という気持ちで大阪で開業されたのですか?

それが違うんですよ。私の出身は山形で大学は福島、仕事に就いてからは東京と、ずっと東日本で暮らしてきましたから、「開業するなら関東」と考えていました。全国の物件をリサーチしてくれている会社から「滅多に出ない掘り出し物の物件がある」と。しかも大阪に。「大阪?」と思いましたが、大阪は東京に次ぐ大都市ですし、すでに「都会と自然」というキーワードは持っていましたから、物件の立地を見て「これだ!」とピンときて、すぐに計画を進めることに決めました。物件ありきの大阪開業です。結果的には、1号店を大阪で見つけられたのは良かったなと思います。さらに、大阪へ来てみてわかった嬉しいことが、Noumの周辺にはおいしいご飯屋さんや素敵なショップもあり、近隣の方もとても良い方ばかり。本当に良い出会いだったと思います。


有機的な印象のエントランスが旅行者を迎え入れます

カフェ

〜 野を生む、そして余白を楽しむ 〜

■ホテルのコンセプト「都市に野を生む」について教えてください

ネーミングを考えていた時に、”norm”という英単語に出会ったんですね。社会規律や規範を意味する言葉なのですが、ノームという響きに惹かれました。そこからこの言葉の音を探っていたら、「野を生む」という言葉が浮かんできたのです。そして、綴りも変えて「Noum(ノウム)」と名付けました。都会のホテルに滞在しながら、野原や公園にいるときのような開放感やリラックスした気持ち、自由さを感じることができるようなホテルでありたいという想いを込めています。


ウッドデッキが巡らされた屋上は都会のオアシス(撮影当時はアート展示中のため彫刻のインスタレーションがありました)

屋上から望むのは緑豊かな川縁と大川に広がる天満橋

■2019年に開業されてから、国内客のみならず、外国人客にもとても評価の高いホテルとお見受けしておりました。外観も内観もとても素敵です。

外国人客の中でも同世代のお客様が多く、それは素直に嬉しかったです。私たちの世代は、いわゆる観光ツアーに参加するのではなく、旅先でも自分たちのペースで過ごされるゲストが比較的多い傾向があります。観光地を巡る以外にも、ホテルの前の川べりや遊歩道でランニングをしたりサイクリングを楽しんだりするなど、普段のライフスタイルの延長で旅を楽しまれる感度を持つ方が気に入ってくださっています。そんな「余白」を楽しんでいただけるホテルであることが光栄ですし、これからもずっとそうありたいと思います。それから、初めてバックパッカー旅行をした時に痛烈に感じたのですが、「おかえりなさい」とスタッフが言ってくれる宿はやっぱり心地よいですよね。旅先では知らない人ばかりだから、「おかえりなさい」と言ってもらえたら安心です。これはBackpackers’ Japan時代から受け継いで、今も大切にしていることです。


自転車でホテル付近を散策するのも旅の楽しみの一つ

ゲストも安心してコミュニケーションを楽しむ

〜 考える続けること、理解し合うこと 〜

■宮嶌さんは描いているものを形に落とし込みながら実行し続けておられます。その思考の根っこというか、どんな工夫をされているのかとても興味があります。何かスキルやヒントをぜひ教えてください。

「これ」と決めたら、まずは徹底的に知るためにいろんなところにとにかく行くことかな(笑)。特に20代のときは色々な空間を見るために国内外問わずあらゆる場所に行きましたね。宿泊業とは空間を作る仕事でもあるので、ホテルに限らずカフェ、レストラン、ギャラリーなどに行ってスケッチに落とし込む。そして、なぜ居心地が良くて、なぜ居心地が悪かったかをノートに書きまくりました。目に見えることだけではなく、感覚的なものなどすべてです。ノートは何冊もありますよ。Noumを作るときにすごく役立ったし、今でもたまに見返して「なるほど~」と思ったり。思考は鍛えられるので、考え続ける訓練は常々やっています。


最上階のキングルーム

■なるほど。そしてその体験や思考から得たもの、ご自分の頭にあるものをどうやってスタッフの方々に具体化し共有されていますか? Noumではよくまかないご飯を食べるので、食べながらのコミュニケーションを大事にしています。一緒にご飯食べることって、お互いの理解を深めるためにとても大事。また、スタッフ間の相互理解と円滑なコミュニケーションの環境を作るために、定期的にアイスブレイクをしてお互いをもっと知り合う機会も取り入れています。「都市に野を生む」のコンセプトをどう体現するかを現場のスタッフが考えて、トライアンドエラーをしながら動き続けていく。経営者としてトップダウンで決めなきゃいけないシーンも沢山あるけれど、決めてからはチームで進める。大事なのは考えて動けるスタッフがいるということ、そんなスタッフを育てるということですね。

取材後記: 「大阪、好きですね。周りにも大阪が合ってるねって言われる」と笑う宮嶌さんは、現在どっぷり大阪ライフです。私よりもたくさんお店知っているし、顔なじみのお店も増加中です。「山形県出身だからシャイなはずですが・・・」と仰るものの、友達もいない大阪に身一つで飛び込むのもバックパッカーの開拓精神ならでは、です。「思考し続けること」。これからも目が離せない宮嶌さんとHotel Noum。今はこのコロナのご時世ですが、近いうちに一献ご一緒にやりたいものです。Hotel Noumのカフェもぜひぶらり川べり散歩のお楽しみの一つにされてはいかがでしょうか? Special thanks to Hotel Noum OSAKA Backpackers’ Japan





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